ハンドルネーム:kurataba(くらたば)
年齢:50歳界隈
自己紹介
始めまして、kuratabaです。
岡山県は倉敷市在住の50歳前後のおじさんです。
嫁さんと二人の娘、私の両親、の6人+メル(トイプー)で暮らしています。
せっかくご訪問いただいたので、簡単に自己紹介をさせていただきます。
岡山生まれの岡山育ち
私が生まれたのは岡山県倉敷市。
今からほぼ半世紀前のことです。
小学校入学まで倉敷市、その後高校を卒業するまで父の田舎である岡山県央で過ごしました。
せっかくなので、私の半生、食に関する記憶を元にたどっていきます。
幼児期の食に関する記憶
幼少期は食に関する記憶が二つだけあります。
母親が作ってくれたババロア
確か、母親が友達のところに遊びに行く際に頑張って作ったというような記憶がかすかに残ってるんですが、食べたときに「なんだこのおいしい食べ物は!」みたいな衝撃が走ったのを覚えています。
実はこの時の記憶がいまだに残っていて、今でも、ケーキ屋さんやカフェとかで、ババロアという文字を発見するとウキウキしてものすごく気になります(笑
クリープ
コーヒーに入れるあのクリープです。
当時、夕食後にスプーン一杯だけクリープを食べさせてくれてたのをよく覚えています。クリープって甘くて、あれだけでも私にはごちそうでした。
当時はスイーツなんて言葉もない時代。食後のおやつ的な感じでクリープで手軽に済ませていたんでしょうね。
その後、小学校に入ると同時に父の実家に引っ越して、祖父母たちとの生活がスタートします。
小学生の時の食の記憶
小学生になると食に関する記憶はドーンと増えて、、、と言いたいところですが、実はあんまり覚えてません(汗
ザクっと記憶をたどると、、、
祖母が作ってくれた豚肉の甘辛炒め
炒めた豚肉を砂糖と醤油で調味した簡単なものです。
砂糖=甘い=お菓子という認識だった私は、「肉炒めに砂糖を入れてる・・・」と、ものすごく違和感を感じたんですが、食べてみると甘辛くて感動しました。
この時の経験があって、今でも豚肉を砂糖と醤油だけで味付けしたものを作ったりします。実は今朝も作りました(笑
クリスマスの時の鶏の足
年に一回、クリスマスの時だけ、鶏の足(モモ肉)を買ってきて焼いて食べさせてくれました。
田舎で飲食店がなく、母親の主義で外食も全くしない家庭だったので、この時の鶏の足はこの世の最高峰のごちそうでした。
ジャガイモの天ぷら
ジャガイモを5mm程度の厚さに切って片栗粉をまぶしたものを油で揚げて、醤油を垂らしてご飯とともに食べます。
これがことのほか私のお気に入りでして、小学校5年の時に嘔吐下痢症で1週間寝込んだんですが、回復して最初のごはんにリクエストしたのがこのジャガイモの天ぷらでした。
今でも好きなんですが、嫁さんが”天ぷらはサツマイモ"派なので、食べる機会は減りました(涙
失敗を繰り返したフライドポテト
親戚の家に行った際にドムドムのフライドポテトを食べて感動し、ジャガイモを揚げるだけなら家でもできるだろうとチャレンジした記憶があります。
しかし、ジャガイモを切って揚げただけではあの"外はカリカリ、中はフワフワ"なフライドポテトにはなりませんでした。
とにかくカリカリ食感が欲しかったので、次に小麦粉をつけて揚げたんですが、外はカリっとしても、中はなんだか歯ごたえもしっかり残っていてドムドムとは程遠い。
ならばいったん茹でてポテサラのようにマッシュしてから成型して揚げたらどうだと再チャレンジしたところ、何とか、カリフワなフライドポテトができました。
しかし、「毎回毎回そこまでやってられん」とそれ以降フライドポテトは作ったことありません。
ちなみに、今はレンチンしてから揚げるようにしています。これが外の食感と中の食感が違っていてことのほか美味しくできます。
中学生の時の食の記憶
中学生になると、もっと食の記憶はありません。しいて言うと、、、
犬の餌のような弁当
中学校時代は土曜日だけ弁当持参だったんですが、あまりにひどい弁当だったことがあって、それが記憶に残っています。
どんな弁当だったかというと、白いご飯の上に、煮た鶏肉が置かれただけの弁当。
鶏肉も醤油とかの赤茶色い照りが効いていればまだよいですが、そういう感じではなく、水炊きの残り物から取り出したような、白いっぽい、薄グレーな色あいの鶏肉で、汁気もろくに切らずに乗せていたからご飯もベチョベチョ。
「まるで犬の餌・・・」
と思いながら両腕で弁当を隠して大急ぎでかきこんだ覚えがあります。
いつもこんなお弁当だったわけではなく、普段はどちらかというと彩りにも気を使ったお弁当だっただけに、この時の落差が激しすぎていまだに記憶に残っています。
今、お弁当を作るようになって、ついつい見栄えを気にしてしまうのも、もしかしたらあの時の記憶がトラウマになっているからかもしれません(笑
高校時代の食の記憶
高校はバスで30分程度のところにある高校に通っていました。バス通学です。
高校時代の食の記憶は断然、外食の記憶になります。
ジョージア ザ・ブレンド
今もコカ・コーラボトリングが販売しているショート缶の缶コーヒーです。
当時、私にとって缶コーヒーといえばUCCコーヒーで、缶もロング缶でした。
しかし、これはショート缶。量が少ないクセに価格はUCCと同じ。
「どういうこっちゃ?」
という疑問を持っていたので、冬のある寒い日に、思い切って自販機で買ってみました。
「どれどれ・・・」と一口飲んだ感想は
「うめぇ~!!!!!!!!」
でした。温かくて甘くて、クリーミーで、こんなおいしいコーヒーがあるんだと感動しました。
今では甘すぎて飲めませんが。。。
ガリガリ君
学校からバス停に行く途中の商店に売っていて、夏は毎日のように友達と買い食いしていました。
価格が50円で、他のアイスバーよりも大きくて重い。
「こんなに大きくてうまくて50円ってすげ~!」
って言いながら食べたのを覚えてます。
喫茶店のモーニング
高校2年生くらいから、遅刻をよくするようになり、
「どうせ遅刻なんだから昼休みに行こっ!」
と高校近くの喫茶店で漫画を読みつつモーニングを食べ、昼休みの時間を見計らって登校、みたいなことをよくやってました(汗
トーストとコーヒーとサラダとスクランブルエッグ。
当時の私からしても大したことない料理ですが、モーニングを食べるという行為に浸っていました(笑
かつ丼
高校からの帰り道に、定食屋さんがありました。
そこのカツ丼がうまいと友達に連れて行ってもらってからすっかりはまってしまい、昼上がりの土曜によく通ってました。
家で食べるとんかつなんて、今でいうと生姜焼き用の豚肉よりほんの少し厚いかなというくらいのものだったので、分厚い豚肉で、甘辛いタレで、卵でとじていて、というのは本当に美味しかったです。
きくらげ入りの中華丼
駅前にあった中華料理屋さんで出てくる中華丼にきくらげたくさん入っており、きくらげの食感が気に入って月に一回くらいのペースで友達と食べに行ってました。
ほか弁のステーキ弁当
当時ステーキなんて食べたこともないくらいの高級料理だったので、ほか弁であってもステーキという文字を見た時には迷わず買ってました。
当時のほか弁なので、ステーキというよりは生姜焼きみたいな感じでしたが、それでも満足して何度も買いました。
コークハイ
詳細は割愛します。
日本酒
詳細は割愛します。
大学は京都
大学は京都にある某私立大学に進学しました。
この時期の食の記憶・・・
アサヒスーパードライ
"大学と言えばコンパ”みたいな感じだったので、酒を鍛えようと、一人暮らしを始めたその日にスーパードライの6缶パックを買ってきたのをよく覚えてます。
定食屋「ハイライト」
賀茂川近くにある定食屋さんで、ボリュームがあって安かったので、学生たちから絶大な人気を誇っていました。
この定食屋さんはジャンボチキンカツが人気でしたが、私は鶏のから揚げ定食にツボりまして、卒業して京都を離れるその日まで、から揚げ定食ばかり食べてました。
今井食堂のサバ煮定食
上賀茂神社近くにある定食屋さんで、サバ煮定食が名物でした。
ここのサバ煮定食は、サバ煮というより鯖缶と言った方がしっくりくるくらいにしっかりと煮込まれ黒々としたサバ煮が出てきます。骨もホロホロとすぐに崩れるくらいに煮込まれてました。
芸人の笑福亭鶴瓶さんも学生時代によく食べてたとテレビで言っていて感動しました。
なか卯
当時の京都は、吉野家よりもなか卯の方が幅を利かせてました。
私たち学生のテッパンは牛丼並とハイカラうどんのセット。価格は400円台だったと思います。
持ち帰りもできたので、ホントに何度通ったかわかりません。
ハイカラうどんとは、素うどんに天かすを乗せたうどんのことです。
京樽のいくら丼
京樽は持ち帰りお寿司のチェーンで、いくら丼とかウニ丼が手ごろな価格で買えました。
テレビのグルメ番組でいくらとかウニとか登場するたびに食べてみたいと思っていたので、京樽でいくら丼を見つけた際は速攻で買いました。
以後、ウニやいくらを食べたくなったら京樽に行ってました。
就職で神奈川へ
学生時代はほぼ勉強してなくて、単位もろくに取得できてなかったんですが、そんな私でも東証上場の会社に内定をもらっていたので、無事入社ができました。バブル景気のなせるワザです。
配属されたのは神奈川。確か、勤務先が田園都市線沿いのどこかで(忘れた)、梶ヶ谷の寮に住んでいました。
幕の内弁当
会社から寮への帰り道に弁当屋を兼ねた仕出し料理屋さんがありました。
ここの幕の内弁当がおいしかったです。
当時の私は、幕の内弁当ってパッとしないおかずの詰め合わせみたいな印象で好きではありませんでしたが、ここのおかずは一つ一つに出汁の効いた上品な味がしっかりとついていました。
特におどろいたのがこんにゃくで、見た目は全然煮込んでいる感じではないのに味がしっかりと染みていてものすごく驚いたのを覚えています。
渋谷駅近くのとんかつ屋さん
黒豚のトンカツを出すお店で、値段も2000円以上してたと思うんですが、興味本位で食べてみたらあまりに美味しくてびっくりしました。
噛むごとに甘くてコクのある脂身が口の中ではじ飛ぶ感じ。黒豚ってこんなにおいしいのかと強烈に記憶に残っています。
岡山へUターン
せっかく入社した会社でしたが、入社したころから急速に景気は悪化し、仕事量が激減。
スキル勝負の会社なのに経験を積める環境になく、さらに家族の都合もあって、わずか1年足らずで退社し、岡山に戻って再就職しました。
以来、ずっと倉敷市に住んでいます。
30歳の時に結婚、炊事を始める
28歳の頃、会社の先輩(の奥さん)の紹介で嫁さんと知り合い、30歳で結婚しました。
大学時代から料理には興味を持っていたものの、「出汁って何?」というレベルだったので、管理栄養士である嫁さんにいろいろ教えてもらいながら勉強しました。
当時はカレー作りにはまっていて、鶏がらとか香味野菜を買ってきてコトコト煮込んでスープを取り、玉ねぎも1時間くらい炒めてスパイスも調合して、、、みたいなことを毎週末にやってました。
娘たちが生まれて離乳食を卒業してからは、主に朝食を作るようになりました。
2世帯住宅を建てて両親と同居してからは炊事をする機会はめっきり減りましたが、それまではなんだかんだで料理はよくしていました。
なのでお弁当作りも私がするのは我が家ではあまり違和感がありません。
自分の興味の赴くままに上手な人のマネをしていたら、少しずつ上達してきた感じです。
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