2016年4月11日(月)。
長女の中学校入学をきっかけにしてお弁当作りが始まりました。
娘が通う中学校は公立ですが中高一貫校で弁当持参となっています。
中学受験したいと娘が言い出した時は私も嫁さんも二つ返事でOKしましたが、いざ通う段階になると本人だけでなく親にも相応の負担がありました。
その最たるものがこのお弁当作りです。
「お弁当、どうする?」
入学1か月ほど前、嫁さんが私に聞いてきました。
誰が作るかといったことは特に決めてなかったので、いきなり聞かれた時は私も少々面喰いましたが、すぐに思い直し、
「俺が作る~。」
と宣言。果たしてこれが英断だったのか、安請け合いだったのか、いまだにわかりません。
ちなみに、小学校や保育園に通っている時、遠足などでお弁当が必要な場合は嫁さんが作っていました。
しかしそれは年に数回のイベントだから頑張れたことで、毎日作るとなるとフルタイムの仕事を抱える嫁さんには荷が重いことです。
私ももちろん仕事はしていますが、仕事場は自宅なので嫁さんよりははるかに融通がききます。
最悪、昼に寝てもいい。
それに、幼少期から、娘たちの世話は何でもやってきました。食事、おむつ、散歩、身支度、お風呂、読み聞かせ、送迎などなど、、、
もちろん私だけじゃなくて嫁さんと手分けしながらってことですが、嫁さんしかしなかったのは授乳くらいです。
こうした事情から、おのずと、どっちが作るかは答えが出ていました。
それに、小学校を卒業すると、だんだんと親離れが加速していきます。
ずっと世話してきた身からするとそれは結構さみしいことなので、弁当を通して娘たちと共通の話題を持ち続けたいという思惑もありました。
わかりやすくいえば、
「俺は娘たちの世話をまだまだしたいんだ!」
ということです(笑
最初の弁当は三食弁当
「弁当、何がいい?」
と娘に聞いたところ、速攻で「そぼろがいい!」と返ってきたので、リクエストに応えて作ったのがこの三色弁当です。
鶏そぼろと炒り卵と絹さやの三色丼と、エビチリ、ブロッコリー、黒豆、いちご。
当時はお弁当の見栄えとかはあまり頭にはなく、とにかく間に合うように作ったという感じです。
エビチリなんかなぜか黒いですね😅
そぼろも粒が不揃いだし、絹さやはもっと細く切ってたくさん持った方が見栄えがするのになあなどと今なら考えますが、当時はそんなこと頭の片隅にもありませんでした。
とにもかくにも、この弁当から、私の長い長い弁当ロードが始まるのです。